Yoichi Shiraishi
白石陽一インタビュー
子供の頃から人と同じことをするのに違和感がありました。中学生の頃、みんなが教室で普通に勉強している状況がなんだか気持ち悪い、一列に並んで同じことをしているのに違和感を感じるようになりました。高校ではたまに授業をサボっては海を見に行ったり、家で小説を読んだりしていました。別に学校が嫌いではなかったけど、心の中にモヤモヤしたものを抱えていた時期でした。福岡から東京に出たのは21歳の時で、古着屋になろうと思っていました。1940-50年頃の古着が好きで、その頃の服って作りがすごく凝っていたり、独創的な服が多くて。古着には服を着ていた人の生活の中でできた擦れや汚れがあったりしますけど、それが時代を経て、今自分が手に取っているというのが面白いなと思って。でも古着屋で働いてわかったのですが、僕が好きな時代の古着って市場に出回ることが少ないんです。仕入れる物がなければ売ることはできませんから、自然と物を作る仕事に目が向いていきました。木工、金工、テキスタイルと色々ある中で陶芸を選んだのは、一番自由度が高いと感じたからです。それから全国の気になる古窯を周り、志野や織部の自由さに惹かれ岐阜で学校を探して、多治見の意匠研究所に入りました。当時もう27歳くらいだったので、ずいぶん遅いスタートですよね。周りは美大出身者とか、窯元の人とか、10代の頃からろくろをひいているような経験者ばかりでした。そうした中で技術も知識も経験も無い自分がこれから作家を目指すのは可能なのかいつも自問自答していました。コンプレックスを感じながら、自分が他の人と比べて何か優れているものがあるのかを考えた時、それは『何もない』ということ自体が強みだと気づけたのが大きかったと思います。何もないから、陶芸の色々な決まりごとを疑って、一から考えることができる。今やっていることもそこから出発しています。陶芸は最終的に焼成する事により作品になるわけですが、最後に自分の手を離れるのがどうにも納得いかなかった。それで焼成という自然の行為を避けて通れないなら最初の成形から自然の行為に委ねたらどうかと考えました。始めから一貫して自然の行為で作られるものが今までにない価値観の入口を作るきっかけになるのではないかと考えました。その考えが元になってできたのが今の磁土のうつわです。事象という言葉のphenomenonから事象が始まる前という意味で「pheno」というレーベルにしました。鋳込みという技法で、手を触れずに、石膏型が土の水分を吸って出来た自然のテクスチャーをそのまま活かすよう焼成して作品にする。長い間モヤモヤしていたものが、今のところはこのやり方で腑に落ちた感じがしています。phenoとは別に「白石陽一」で制作しているオブジェの方は、山から掘り出してきた原土を一度粒状にして型に入れ、幾何学的な形にして焼いています。一般的な美しさだけでなく焼成時に歪んだり、縮んだり、ヒビが入ったりなど、マイナス方向の美しさ、言い換えると日本の美意識も基準にしています。phenoのうつわと白石陽一のオブジェは、用途のあるなしや、材料も磁土と原土、と目に見える表面の部分は対照的に違いますが、「自然にできるもの」という中核は一緒です。作品を通じて表現したいことは、最近は最終的にできあがる作品そのものから、もっとその根っこにある物理的な法則や地球環境における事象に関心が移ってきています。自分の中で作品を作るというのは新しい視点の物差しで今までの物事をもう一度観て楽しむことができる素晴らしい行為だと思います。
この記事は2023年5月に行われたインタビューを編集したものです。