Masami Tokuda interview

督田昌巳インタビュー / An interview with Masami Tokuda

 

督田さんは、鹿児島生まれ。小さい頃からものを作るのが好きで、壊れた時計や何かを拾ってきては、分解したり、組み立てたりして遊んでいたという。きっと子供の頃から、人一倍豊かな感性と、芯を曲げない強さを併せ持っていたのだろう、高校の頃になると、教師と衝突するようになり、学校を中退。家を出て、放浪した。しかしその後思い直して、関東の大学に進学し、音楽を始める。

「ものを作りたいという思いが強かった。当時は音楽をやっていましたが、ものを作るという点では今とやっていることは変わらないと思います。自分が感じるものを音にするか、物にするかというだけで。」 

督田さんは物を作る時に図面をひかず、また、作った物のデータも残さないという。

「もちろん図面を引いたり、データを残したりした方が効率が良いのですが、そうすると図面やデータをなぞるだけというか、ただの繰り返しになってしまう。そうなると新しいものは生まれない。毎回ゼロから作るのは、無駄だと思われるかもしれないけど、無駄こそ大事にしていきたい。物を作る時は、まず自分の心の中を見て作りたいものを探します。そして、そこにある気配とか、感じるものを捉えて、ただそれを形にします。僕がやっているのは、そういうことです。人の内面の心は、もっと大きな『何か』とつながっているのだと思います。」

日本の美意識に惹かれて茶道を習い、家にあった材料だけで造ったという茶室で、一日一回お茶を点てている。

「物自体がどうのこうのではなくて、その物が醸し出してる気配というか、実体のないものに惹かれます。物から離れたところに漂うもの、余白とか間みたいなものに。」

督田さんが思う「美しいもの」とはどういうものだろうか。

「一番美しい思うのは壊れたものです。人が作ったものでも壊れてしまって、人の気配や人の手の感覚が抜けたもの。イメージするのは深い海の底に沈んでしまった物が、誰からも見つからずにただある。ただそこにあると。そういうのってすごく美しいなと思います。」

対話の中で、督田さんは覚悟という言葉を何度か口にした。ものづくりは、自分の内面と深いところで分かち難く結びついている。だから自分は作ることしかできないし、やめることは考えられない。そうして作ったものが、たとえ他の人に受け入れられなくても、それは仕方がない。仕方がないというのは、生きられなくても仕方がないということだ。心から湧き出た水は、やがて流れになる。その流れがいく先は自然に委ね、自分で流れを変えようとはしない。作り手として大切なのは、ただ湧き出し続けることだと督田さんは語った。

 

Masami Tokuda was born in Kagoshima, Japan. He has loved making things since he was a child, picking up broken clocks or other things and taking it apart and playing around with them. He must have been more sensitive and strong-minded than other children since he was young. Entering high school, he began to fall foul of his teachers, and dropped out of school. He left home and went wandering. However, he later made up...