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An interview with Akihiro Nikaido ( English )

An interview with Akihiro Nikaido ( English )

An interview with Akihiro Nikaido

-How did you become a potter ?

When I was a high school student in 90s, the Japanese economic bubble burst. I witnessed the collapse of the values that had been believed in common in our society, and I thought it would not be good to follow what other people say. Then, I asked myself what I wanted to do. I remembered a good impression when I visited the atelier of a potter whom my parents knew, and I realized that I liked both earthenware and touching...


二階堂明弘インタビュー

二階堂明弘インタビュー

 

二階堂明弘インタビュー

ー陶芸家を志したきっかけは?

高校の時にバブルが弾けて、それまで世間一般で言われていた価値観が崩れていくのを目の当たりにして、人のいうことを聞いてもいいことにはならないなと思ったんです。それで、自分がやりたいことは何だろうと思った時に、以前親の知り合いの陶芸家の工房を訪ねた時の事が心に残っていて、土物の器も、土をいじることも好きだなと。それで陶芸家として生きていこうと思ったんです。それが高2でした。それで美大を受験したんですけど、準備が間に合わず落ちて、陶磁科のある専門学校に入るために東京に出てきました。そこで土を練って焼くまでの基本的なやり方を一応一通りできるようになって卒業しました。その後、伊豆の陶芸教室で働きながら作品を作り、2年後に新宿の京王百貨店で最初の個展をしてから、益子に行ったんです。

ーその頃の作品は今と違いますか。

片鱗はありますね。最初から焼締の土物の無釉の器がやりたくて、そういう方向性で作りたいっていうのがありました。

ーどうして益子だったんですか。

伊豆には若い陶芸家がいなかったですし、陶芸家同士のつながりも希薄で、切磋琢磨する相手も、比べる相手もいなかったんですね。まだ自分の基準が分からず、どうしていいやらって時に、知り合いの陶芸家が「俺、益子みたいな競争率が激しい所なんて絶対行かねえよ。」と話しているのを聞いて僕は逆に「じゃあ行ってやれっ」て。益子か笠間か悩んだんですけど、笠間の方が街だったんで、街よりは、土の匂いのする村みたいなところの方がいいなって、そのくらいの考えで益子に行ったんですね。

ー行ってみてどうでしたか。

キツかったですね。その当時23,4くらいだったんですけど、同じ歳くらいで、窯を持ってやっている人が、まずいない時期だったんですね。知り合いもほとんどいない状況で。また、そこで求められるものも一個1000円くらいのものを50個作ってくれみたいな感じで、自分がやりないこととのギャップに悩みました。

ーそういう状況が変わったのは、いつですか。

30歳になる頃でした。その当時は何々陶芸展とか何かしらの会派とかで賞を取らないと作家の道はないと言われていて、僕も最初は花器とか作っていたんですけど、何か違うなと。考えてみたら、僕は別にそういうものを作りたいと思ってこの世界に入ったわけではなく、普通に器を作りたいと思って始めたわけで。そもそも器がアートじゃないとか誰が決めたんだろうって。だいたいみんなが「アート」っていう言葉を使う時って、ファインアートのことで、」絵画や彫刻と比べて、器はアートでないっていう論法なんですね。確かにそういう意味では器はアートとは呼べないかもしれないですけど、器はそれ自体で完成するものではなく、存在として人と共にあって、季節ごとに花を生けたり、食事の度に何かを載せたりという装置としてのアートにはなり得ると思うんです。それに使っていくうちに器が育って、その人の生き様が出てきたりもしますし。器はそれ一個で完成するものではなく、それがあることによって何かが繋がっていく。そういう意味で、トータルでアートになるんじゃなかなと思うんです。僕の作る器は現代美術のように大きなお金が動くアートではないけれど、お金の大小も結局、誰かが言った価値観で、そうじゃない価値観があってもいいんじゃないかっていうところから出発しています。それまでいろんな人から「器なんてアートじゃない」って言われてたんですけど、そんな事ないだろうって。

ー器についての意識が変わったことで、作品は変わりましたか。

どんどんシンプルになりましたね。本質に美しい形と自分が思うものを作ろうと。あと益子の土を使うようになりました。益子の土はあまり自由度がないので、それまで益子の土を使う気になれなかったんですけど、陶芸とは何かっていうことを考えた時に、元々産地ができた理由って、そこに土があって、それでできることを形にしていった結果がその産地の特色になっているんですね。そう考えた時に、じゃあ自分の足下にある益子の土を使おうと。益子の土はあまり薄くできないって言われていたんですけど、だんだん薄くして、シンプルで美しいものをということで、この黒い器(錆器)ができました。

ー二階堂さんの作風はどういう風にできてきたんですか。

元々土が好きで、土の質感を持ったものを作りたくて、形はだんだん後からついてきた感じですね。自分が美しいと思える形を、土で出せる形でっていう風にやっていった結果が今の形になっています。形は結構過去の作品というか器から持ってくる事が多いかもしれません。古い時代の土器とか鉄器とか。托鉢の鉢の形とか。そういう昔の人が生み出した美しい形。それも一個ではなく、たくさんある中から引き出してくる感じですね。

ー以前、二階堂さんは「うつわを作ることは古代から鎖のように連なり、続いてきたことで、今という鎖の中に自分があるこ事を大切にしたい。」と言っていましたね。

そうですね。そういう思いがあるから今、陶ISMみたいなこともしているんです。若手陶芸家のためになればと始めましたが、ようやくやっていて気持ちのいい形になってきました。

ー海外でも様々なところで個展をされていますけど、日本との反応の違いはありますか。

日本とは全然違いますね。例えば中国では黒という色が好まれないので、黒い器は人気がないとか。でも日本でも以前はそうだったので、中国も変わるかなとは思うんですけど。そういう風に色の好みも違うし、用途も違うし、器への考え方も違ったりするので、それが面白いですね。それに合わせてやっていかなくてはならない苦労はありますが、それが海外で個展をやる一番の面白さですね。

 

*この記事は201912月8日に伊豆で行われたインタビューを編集したものです。

*陶ISMは二階堂さんが主催する若手陶芸家の活動領域を広げる交流の場で、2010年より続けられています。


An interview with Kazuto Yoshikawa ( English )

An interview with Kazuto Yoshikawa ( English )

 

An interview with Kazuto Yoshikawa

 Do you have any particular memories of your childhood ?

There is a mountain just back of my house, and I used to do what boys play in a forest, like shaving wood to make bows, making tree houses,  and playing like Tarzan with hanging strings between trees… But the forest is not just for fun. There, I saw carcasses of animals and fishes, swarmed by bugs, and moths were swarming for sap of trees. It is...


吉川和人インタビュー

吉川和人インタビュー

 

吉川和人インタビュー

 

ー子供の頃の思い出で特に印象に残っていることはありますか。

家の裏がすぐ山だったんですけど、男の子が森でやるようなことをしていましたね。木を削って弓とかを作って遊んだり、ツリーハウスを作ったり、ターザンみたいに紐をぶら下げて遊んだりでもそういう楽しいことだけじゃない森っていうのもあって。森や池に入ると動物や魚の死骸があったりするんですけど、それに虫がたかっていたり、樹液には蛾が群がっていたり。いろんな植物とか生物がそこら中で生きていて、そこら中で死んでいるんですよねそういう生きて死んでを繰り返すさまを見てゾワゾワと感じるものがあって。あと、嵐の夜は大木が揺れてゴーゴーと音もすごくて怖かったですし、自分の部屋が森に面していたんですが、キジやフクロウの啼き声が聞こえたり、夜の森はそういう有象無象というか魑魅魍魎としたものが蠢いている場所になるんです。昼はそんなことは深くは感じないですが。あと季節ごとに色も、匂いも、音も変わって。

ー森は生と死を学ぶ場でもあったんですね。

そうですね。木は森の営みの中心なわけで、他の動物や昆虫に食べ物をい与えたり、葉を落としてそれが養分になったり。そういう意味でちょっと怖れを抱く存在というか。昼間は登って遊んだりしていても、実際はすごい存在なんだろうと思っていました。そういうことで言うと、他のプロダクトデザイナーと比べて思うところは、やっぱり彼らは木を質量として見ていると思うんです。こういう立体を作るための構造物として質量としてあるということなんですけど、僕にとってはそれは一個ずつ生々しいものがあったので、単なる素材とは違うと思っていて。言ってみれば、これって尸(しかばね)ですからね。彼らが生きた後の遺体を扱っているわけなんです。そういう意味で一回きりの存在ですよね。それは燃やせば灰になって風に飛ばされて、次の世代の養分にもなるわけで、それも潔いと思うしなのでデザインとかプロダクトとかは以前から好きでしたけど、木に関しては別の捉え方をしていたかもしれません。木工をやる人は朽ちたり、木目が不規則だったり、節が入ったりした木は、ちょっと構造的に弱くなったり、バランスが崩れたするんで排除する人もいますけど、僕はそれを逆に受け入れるというか、むしろそれが木だという感じで使うという考え方何ですけど、それは恐らく小さい時の経験から来ているんじゃないかなと思いますね。

ー子供の頃、森は遊び場でもあり、生と死を学ぶ場でもあったということですが、そういう森の二面性は現在作品を作るときに反映されているということはありますか。

そうですね。プレーンな木は日常使いできる物に、象徴的なパワーがあるようなゴツいものはアートピース的なアプローチの作品にしたりとか、それは両方とも必要だと思っていますけど、確かに森の昼と夜という感じかもしれないですね。

ー木工を始めたのはいつからですか。

小学校3年生の時に母の日のプレゼントに木のスプーンを作ったんですけど、最初は趣味でやっていて、仕事として始めようと思ったのは35歳くらいですかね。スプーンから始めたんですけど、もともと立体とか彫刻も好きで、スプーンは一番身近な彫刻なので。プラス機能も必要とされると言う意味で、その機能と造形の融合ということで奥が深いと思っています。

ー吉川さんの作品はカーブが特徴的だと思うんですが、そういうものが好きなのは、自然とか森での経験や観察と繋がっているんでしょうか。

そうですね。例えばバターナイフなんかは、植物の種でプロペラ状のものがあるんですが、その形状がヒントになっています。それから卵とか河原の丸石とかの形も好きですね。質量っていうか重さとか硬さは不均一なものの塊なんだけど、それがなんかの理由で削ぎ落とされていって、一番最後に均衡した形になる。水の滴とかも重力と表面張力で一番バランスがとれた形になるんですね。木工の学校に入った時に、先生が色々教えてくれたことの中に、彼はもともと彫刻家なんですが、「世の中の物は必ず重力の影響を受けて引っ張られていて、形も重力の影響から逃れられない。」っていうのがあって。それを聞いた時に面白いなと。そういう重力とか膨張力とかの影響を受けて均衡したラインが一番綺麗なラインじゃないかと思ったんですね。

デザインについてもう少し言うと、一番ヒントにしているのは人間の身体です。人間の身体も重力によって引っ張られながら動くための色んな構造があって、その上に肉がついているんですね。これ自体も外の均衡によって成り立っているんで、人の体とか動きとかすごい見てますね。腰のラインとか首から肩のラインとか、あとは鳥とか動物の首のラインとか。

ー話が少し前後しますが、大学を出て一度就職されたわけですけど、最初から作家になろうとは思っていなかったんですか。そしてその後、会社を辞めて作家になろうと思ったのは、何かきっかけがあったんですか。

元々物を作るのが好きで、大学の時も美術部だったんですが、それを仕事にはできないんじゃないかなと思ったんです。無理だと思って諦めていたんですね。それでもデザインが好きだったのでカッシーナに就職しました。プロダクトデザインの周辺で生きていければと思っていたんですね。でも2011年に震災があって、人生について改めて色々と考えました。その時35歳で、もう人生を決める時ですよね。それで一度きりの人生なら、思い切って好きなことに挑戦してみようって思ったのがきっかけです。それから岐阜県の木工の学校に入りました。

ー現在の取り組みについて教えてください。東京のアトリエに加え、ここ三重にも新しく拠点を作ったわけですが。

ここはトヨタが所有している広大な森があって、その森林を保全しながら有効に活用するプロジェクトに応募して通ったんですけど、森の木を使った製品を開発販売し、そのお金でまた地域の木を買って循環させていくことと、もう一つは地域の

学校での木を使った教育です。始まって一年半くらいですけど、教育では地元の高校での木工の授業が進んでいて、商品開発は今年の5月にここを借りてから少しずつ動き始めています。ここは元々工場の跡地だったんですけど、森の木を使った製品を作る製造ラインを立ち上げて、軌道に乗ったら現地の人たちも雇用する計画です。あとそうした生産機能に加え、地域活性で人が集まる場所にしたいと思っていて、手を動かして木で物を作る面白さを一般の人とシェアできる施設にして行きたいと考えています。

ーそれは楽しみですね。吉川さんは、ワークショップを色々なところで継続的にやっていますけど、どういう思いで続けているんですか。

サラリーマンを辞めて、木工作家になろうと思った時に、何から始めればいいのか分からなくて。使う道具も分からないし。そういうことがあったので、ナイフで木を削って物を作るということの敷居を下げて、気軽に物づくりを楽しめる場を作りたいということがあります、あと、ちょっと突っ込んだことを言うと、木を使って何かを作ることって、何かしんどいことがあった人が立ち直るようなきっかけになる力があると思っていて。自己肯定感も生まれるし。実際、深刻にそういうものを求めている人っているんですよね。それはある時期の自分にとってもそうでした。そういう人たちにリーチするのがもう一つのミッションです。僕はワークショップの参加者にはある程度の完成度まで行かないとOKを出さないんですが、いいものができるとやっぱり喜んでくれるんですよね。2時間半の間、自分が作業したことしか反映されないんで。なんかそういうところで自分の存在価値にふと気づいたりしてくれるといいなと思うんですね。単純に自分自身が楽しむため。自分で自分自身を新たに見つけるため。それは結局何のために生きているかっていうことなんですけど。子供や若い人に伝えたいのはとにかく「この世は生きる価値があるんじゃないかな。」ということを感じてもらうっていうことです。生きているといろいろいいことあるよと。その一つとして自然の素材を使って自分や誰かの為に何かを作るって自己肯定感もあるし、楽しいよっていうことを伝えていきたいんです。

ー吉川さんは、作家活動の他、学校やワークショップで教え、ここでは森を有効に活用するための事業を立ち上げようとしていたりと、幅広く活動されていますが、これらは吉川さんの中ではどのように繋がっているのでしょうか。

やっていることは結局皆一緒かもしれないですね。木を削って何かを作ることは楽しいので、僕は仕事としてやっていて、そしてその楽しみを他の人とシェアしたいと。全てそういう考えでやっているというか。なので自分の肩書きは一応海外ではアーティスト、日本では木作家(もくさっか)と名乗っていますけど、あえて固定しなくてもいいかなと思っています、なので今、僕の名刺には「吉川和人」としか書いてないんです。

 

*この記事は2019年9月に行われたインタビューを編集したものです。