Akihiro Nikaido

二階堂明弘インタビュー

 

二階堂明弘インタビュー

ー陶芸家を志したきっかけは?

高校の時にバブルが弾けて、それまで世間一般で言われていた価値観が崩れていくのを目の当たりにして、人のいうことを聞いてもいいことにはならないなと思ったんです。それで、自分がやりたいことは何だろうと思った時に、以前親の知り合いの陶芸家の工房を訪ねた時の事が心に残っていて、土物の器も、土をいじることも好きだなと。それで陶芸家として生きていこうと思ったんです。それが高2でした。それで美大を受験したんですけど、準備が間に合わず落ちて、陶磁科のある専門学校に入るために東京に出てきました。そこで土を練って焼くまでの基本的なやり方を一応一通りできるようになって卒業しました。その後、伊豆の陶芸教室で働きながら作品を作り、2年後に新宿の京王百貨店で最初の個展をしてから、益子に行ったんです。

ーその頃の作品は今と違いますか。

片鱗はありますね。最初から焼締の土物の無釉の器がやりたくて、そういう方向性で作りたいっていうのがありました。

ーどうして益子だったんですか。

伊豆には若い陶芸家がいなかったですし、陶芸家同士のつながりも希薄で、切磋琢磨する相手も、比べる相手もいなかったんですね。まだ自分の基準が分からず、どうしていいやらって時に、知り合いの陶芸家が「俺、益子みたいな競争率が激しい所なんて絶対行かねえよ。」と話しているのを聞いて僕は逆に「じゃあ行ってやれっ」て。益子か笠間か悩んだんですけど、笠間の方が街だったんで、街よりは、土の匂いのする村みたいなところの方がいいなって、そのくらいの考えで益子に行ったんですね。

ー行ってみてどうでしたか。

キツかったですね。その当時23,4くらいだったんですけど、同じ歳くらいで、窯を持ってやっている人が、まずいない時期だったんですね。知り合いもほとんどいない状況で。また、そこで求められるものも一個1000円くらいのものを50個作ってくれみたいな感じで、自分がやりたいこととのギャップに悩みました。

ーそういう状況が変わったのは、いつですか。

30歳になる頃でした。その当時は何々陶芸展とか何かしらの会派とかで賞を取らないと作家の道はないと言われていて、僕も最初は花器とか作っていたんですけど、何か違うなと。考えてみたら、僕は別にそういうものを作りたいと思ってこの世界に入ったわけではなく、普通に器を作りたいと思って始めたわけで。そもそも器がアートじゃないとか誰が決めたんだろうって。だいたいみんなが「アート」っていう言葉を使う時って、ファインアートのことで、絵画や彫刻と比べて、器はアートでないっていう論法なんですね。確かにそういう意味では器はアートとは呼べないかもしれないですけど、器はそれ自体で完成するものではなく、存在として人と共にあって、季節ごとに花を生けたり、食事の度に何かを載せたりという装置としてのアートにはなり得ると思うんです。それに使っていくうちに器が育って、その人の生き様が出てきたりもしますし。器はそれ一個で完成するものではなく、それがあることによって何かが繋がっていく。そういう意味で、トータルでアートになるんじゃなかなと思うんです。僕の作る器は現代美術のように大きなお金が動くアートではないけれど、お金の大小も結局、誰かが言った価値観で、そうじゃない価値観があってもいいんじゃないかっていうところから出発しています。それまでいろんな人から「器なんてアートじゃない」って言われてたんですけど、そんな事ないだろうって。

ー器についての意識が変わったことで、作品は変わりましたか。

どんどんシンプルになりましたね。本質に美しい形と自分が思うものを作ろうと。あと益子の土を使うようになりました。益子の土はあまり自由度がないので、それまで益子の土を使う気になれなかったんですけど、陶芸とは何かっていうことを考えた時に、元々産地ができた理由って、そこに土があって、それでできることを形にしていった結果がその産地の特色になっているんですね。そう考えた時に、じゃあ自分の足下にある益子の土を使おうと。益子の土はあまり薄くできないって言われていたんですけど、だんだん薄くして、シンプルで美しいものをということで、この黒い器(錆器)ができました。

ー二階堂さんの作風はどういう風にできてきたんですか。

元々土が好きで、土の質感を持ったものを作りたくて、形はだんだん後からついてきた感じですね。自分が美しいと思える形を、土で出せる形でっていう風にやっていった結果が今の形になっています。形は結構過去の作品というか器から持ってくる事が多いかもしれません。古い時代の土器とか鉄器とか。托鉢の鉢の形とか。そういう昔の人が生み出した美しい形。それも一個ではなく、たくさんある中から引き出してくる感じですね。

ー以前、二階堂さんは「うつわを作ることは古代から鎖のように連なり、続いてきたことで、今という鎖の中に自分があることを大切にしたい。」と言っていましたね。

そうですね。そういう思いがあるから今、陶ISMみたいなこともしているんです。若手陶芸家のためになればと始めましたが、ようやくやっていて気持ちのいい形になってきました。

ー海外でも様々なところで個展をされていますけど、日本との反応の違いはありますか。

日本とは全然違いますね。例えば中国では黒という色が好まれないので、黒い器は人気がないとか。でも日本でも以前はそうだったので、中国も変わるかなとは思うんですけど。そういう風に色の好みも違うし、用途も違うし、器への考え方も違ったりするので、それが面白いですね。それに合わせてやっていかなくてはならない苦労はありますが、それが海外で個展をやる一番の面白さですね。

 

*この記事は201912月8日に伊豆で行われたインタビューを編集したものです。

*陶ISMは二階堂さんが主催する若手陶芸家の活動領域を広げる交流の場で、2010年より続けられています。