Masaki Kusada

艸田正樹インタビュー

 

I  作家になるまで

 

清流として知られる長良川が流れる自然豊かな場所で子供時代を過ごした艸田さんが、都会に引っ越したのは小学校5年生の時。街を流れる汚れた川を見て、子供ながら都会のあり方に違和感を感じた。やがて建築や住空間、環境に関心が向き、大学は工学部の土木科に進んだ。将来は無作為な開発行為を抑えて、できるだけ自然を残した街づくりを提言する仕事がしたいと考えていた。都市計画を研究し大学院を出た後、東京のシンクタンクに就職。地域計画を担当する部署で、地方自治体の将来ビジョンを作ったり、まちづくりのための提案をする仕事に従事した。

ガラスと出会ったのは、入社2年目の頃。下町のガラス工場で初心者でも一人でできる方法だと教えてもらったのがピンブロウだった。口で息を吹き込む代わりに、濡らした新聞から出る水蒸気を利用して膨らますシンプルな技法の美しさに魅了された。だがだんだん仕事が忙しくなり、ガラスのことも忘れてしまったという。

まちづくりの仕事は面白かったが、残業続きの生活で道端の花の美しさに気づく余裕もなかった。まちづくりという人々の幸せを考える仕事をしながら、自分の生活はその幸福感から遠く、大きなビジョンと日常を繋ぐ感覚がないままに仕事をしているという自己矛盾の思いが強くなっていき、30歳の時に一度自分をリセットしようと退職した。

会社を辞めて、しばらくの間どこか静かなところに身を置いて自分を見つめ直そうと向かったのは富山県の八尾だった。山奥にある古い茅葺の一軒家で、一人煮炊きをしたり周囲の草刈りをしたりするだけのシンプルな生活を送るうちに、長い間に染みついた余分なものが落ちていく感覚があった。それは人間の暮らしの根っこみたいなものを再確認するような時間だったという。

そこで冬を越して春になったとき、少し離れた場所にガラスのレンタル工房があることを知った。久しぶりに作ってみるかとガラスに触れた時、自分の中に何か響くものがあった。

「きっと火と向きあうということが良かったんだと思います。溶解炉の温度って1300度くらいあるんですけど、その火と向きあって作業していると雑念が吹き飛ぶ感じがありました。趣味というより修行しに行く感覚で工房に通いました。当時は作家になりたいとか、ものづくりを仕事にしようと思って作っていたわけではないんです。自分はこれからどうしていくかを考える中で、自分の中から余分なものを削ぎ落としたいという気持ちと、水蒸気と重力、遠心力といった自然の力の組み合わせで成形するピンブロウのシンプルな技法が重なった感じがして、ものを作るということに純粋な喜びを感じました。」

その後、ガラス作家としてキャリアをスタートした艸田さんはこう語る。

「作品って自分の内面を映し出す鏡のようなもので、自分で自分のことはわからなくても、作品を見るとわかることがあります。ピンブロウでガラスを作っていると、自分にとって大事なものは何かを常に問い続けなさいって言われてる感じがずっとあるんです。シンプルであること。自然であること。透明であること。そういうものに近づきたいと思いながら作品を作っています。」

 

II  艸田正樹との対話

 

-大学時代には劇団を立ち上げて脚本と演出を担当されていたそうですね。艸田さんの作品には詩的なタイトルが付いていますが、何か理由があるのですか。

 

ガラスで作品を作り始めた時に、それらは器の形はしていても、用途のある道具を作りたいというわけではなかったので、例えば小鉢五寸みたいな名称は合わないなと思ったんです。それで自分自身が火に炙られ、水を求める感覚の中で作品を作っている時に心に浮かんだイメージや出来上がった作品の印象を言葉に置き換えてタイトルにすることにしました。器そのものが持つ印象を優先したいし、作品を手に取る人にとっても腑に落ちるものにしたいので、名前をつける時に、そこは注意するところですね。普通の吹きガラスだったら、直径何センチで高さ何センチのグラスというふうに事前にデザインしてから作ると思うんですけど、僕の場合、今日は風が気持ちいいから、風の人のグラスを作りたいなとか、生あたたかい天気の日にはあたたかい雨とか、タイトルの印象から製作に入る感じです。僕は技術的にも自然現象の組み合わせで作為を極力少なくするように作っていて、気持ちの上でも自分が生身の生き物として感じた風の心地よさとか、水に対しての想いとか、自然に湧いてきた気持ちに乗っかって作った方がいい感じのものができるんです。なので僕にとってタイトルは作品を作る上でとっかかりになるもので、タイトルがあることによって、一番最初に作った時に感じたことを忘れずにいることができます。

「風の人のグラス」は初期の頃からあるものですけど、最初にできた時にフォルムに引き寄せられる感じがありました。コップの立ち姿自体がどこか揺らいでいるようで、スナフキンみたいな風の人の印象に近いかなと思ったんです。それで、そんな人が持っていそうなグラスということで名付けました。「つめたい水」は真夏にざぶっと掬う冷たい水も、春の雪解けの水も心地よさがありますよね。そういう冷たい水を手で掬ってそのまま器にしたような感じがいいなと思ってつけました。「やわらかな方位」は用途としては片口ですけど、水のキレがいいとか、容量が何ccとか機能性を意識して作っているわけではないので片口と呼びたくない。方位を示すものに対して「柔らかな」という形容詞は普通使いませんが、その違和感と曖昧さみたいなところに、器の用途に限定しきれない何かが表現できるといいなと。「ジュピター」はわりと最近の作品なんですけど、木星のイメージです。僕は作品を作る時、重力や遠心力など、竿を動かすことによって生まれる自然の力を利用してフォルムを作っていくのですが、この作品を作る時の竿の動かし方は、ちょっとコツがいるというか他の作品と違う動かし方をするんです。風や雨は地球圏内の現象ですけど、もっと遠くの公転周期や自転速度が異なる天体をイメージしました。木星ってガスが主成分で自転の方向と表面の大気の回転がずれていたりする。その複雑な感じを体感できないかなと思いながら作っています。

 

-会社を辞めてガラス作家になった時に、自分の中で何か変化はありましたか。

 

まちづくりの仕事も、作家の仕事も大元は変わってない感じが自分の中ではありました。どちらも人の幸せな暮らしに関わる仕事だと思っています。ただ都市計画をやっていた時はすごく大勢の人が対象で、みんなにとっての最大公約数的な幸せみたいなことを考えていたから、立派な理念ではあっても少し具体性に欠けている感じがありました。なのでガラスの仕事を始めた時に、これからはより深く一人の人の幸せに関われるんだろうなと思ったのを覚えています。

 

-作り手として、社会におけるご自身の役割についてどのように考えていますか。

 

僕自身、会社員時代は毎日とても忙しく、道端の花や風景の美しさにも気づけないような状態だったので、そこから逃れて作家になった自分の役割は何かなと考えると、誰かにほっと一息つくきっかけをつくることなのかなという気がします。器自体で何かを表現したいというよりも、手に取る人の中にある綺麗だなと感じる心を呼び覚ましたいという思いがあります。ライフスタイルのアイテムというより、もっとプリミティブで根源的な感覚を呼び覚ませられるものを作りたいと思っています。

 

-艸田さんにとってガラスを作るとはどういうことですか。

 

ガラスを作る時、火に向き合っていると、自分が生身であることが強く感じられます。自分は水なんだってわかるというか。火の中に死を感じ、水に生を感じる。その感覚が形を持った透明なガラスとして現れるっていう感じがします。そういう意味ではかなりプライベートな、僕の個人的な行為でしかないものなんですけど、その作品を手にした人にとっても大事なものになったりするのは不思議でもあり、僕の中の何か言葉にならないものに、共感を得られたと思うと嬉しいですね。