Motomu Oyama
大山求インタビュー
大山さんはセツモードセミナー出身。伝説的なイラストレーター長沢節が創設した自由で前衛的な学校で、美しいものを見極めるマインドを学んだ。当時はバブル経済で、時代の空気を表現するクリエイターが求められていた。今とは正反対のポップなスタイルでイラストレーターとなった大山さんには、出版社や、レコード会社などから仕事が次々と舞い込んだ。仕事内容はイラストから立体の美術、さらには販売用のオブジェ制作に至るまで広がっていったが、常に新しいものが求められる中で、自分が消費されて、すり減っていくような感じがしていたという。どこか静かなところで自分の仕事を見直したいという思いが強くなり、東京を離れることを決意した。
若い頃から、「無為自然」を説くタオの思想に共感していた大山さん。手付かずの自然が残る土地に移って感じたことは人間の思惑を超えた自然の摂理の尊さだという。自分自身を自然の一部と感じるようになるにつれ、最初は怖かった森で出会う蛇も、その存在を受け入れられるようになっていった。そうした変化は自然と作るものにも反映されるものだ。以前は負の要素として捉えていた錆びるという鉄本来の性質の中に、もののあわれと美しさを見出し、作品に取り入れるようになった。
その頃の作品に「凍蝶(いてちょう)」というタイトルのオブジェ作品がある。「凍蝶」とは冬まで生き延び、その寒さで凍てついたように動かない蝶のことだが、錆びた鉄でできた薄い一枚の羽に光が当たると、その影がもう片方の羽を浮かび上がらせる。「死は生の一部」という大山さんの死生観が色濃く感じられるこの作品について大山さんはこう語る。
「『凍蝶』は当時の自分自身が投影された極めて個人的な作品です。鉄が静かに呼吸をして錆びていき、ゆっくりと朽ちていく様と凍蝶のあり方が僕の中でシンクロしています。」
現在大山さんが作る作品は、茶器や花器、照明など、生活の中で用いられるものだが、錆を纏い、蜜蝋が焼き付けられた鉄の道具は、もののあわれや無常感という凍蝶の世界観と通底している。
自然の摂理への諦観と、存在するものへの哀れみの眼差しを、鉄という素材を通して形にするという独自の仕事を確立してきた大山さん。最近ようやく自分自身の仕事を認められるようになったというその声はとても穏やかだった。