尾形アツシインタビュー

土の風合い豊かな力強い作品で知られる尾形アツシさん。近年の試みであるヒビ手やヒビ粉引きも、現代的な雰囲気の中に土の持つ野生味が感じられる。現在は奈良県宇陀市の自然豊かな環境で作陶する尾形さんにこれまでの話を伺った。

尾形さんは東京生まれ。大人の世界に興味を持つ早熟な少年だったようだ。中学に入ると冒険に対する憧れが大きくなり、友人たちと駅の待合室で寝泊まりしながら北海道を旅行したり、山登りに行くようになった。高校では山岳部に入部。登山家の本に感化され、単独でも山に入るようになり、いつかはヒマラヤに登ることを夢見ていた。

「山登りの魅力は、一言で言うと非日常ということだと思います。特に雪山とか、普通ではありえないような景色を体験できるので、それはやっぱり感激しますよ。」

それまで山の世界に魅了されてきた尾形さんだったが、大学では人間世界の面白さに目覚めた。演劇と出会い、小劇団に入った。自分は役者には向いていないと思ったそうだが、そこで見た人間模様には興味を覚えた。卒業後は演劇の先輩が出版の世界にいたこともあり、出版社に就職、編集者になった。当時はアングラカルチャーに勢いがあり、多くのクリエイターや表現者と付き合いながらする仕事は刺激的でやり甲斐があった。

アングラな世界の何に惹かれたのかという問いに対して尾形さんは、

「生命力ですよね、本能というか。編集者時代に出会ったクリエイターや表現者達は、作品を生み出さずには生きられない業を背負った人たちでした。破滅的な生き方をしている人も多かった。そういう人間の本能が持つエネルギーには惹かれましたけど、そういう人たちを見て、逆に自分は彼らのようにはなれないなと思うようになりました。」

陶芸に興味がでてきたのはその頃。美術に造詣の深い妻の早苗さんが陶芸を習いたいと愛知県の瀬戸にある窯業訓練校に入学したことがきっかけで、尾形さんも焼き物に触れることが多くなった。そして美術的な行為でありながら、土や火など自然に委ねる要素も多い陶芸の大らかさに強く惹かれていった。

「焼き物って懐が深いなと思いました。食器にしても、もちろん決まり事はあるんですけど、その中で表現できることの幅がたくさんあるのがいいなと思ったし、その頃、渋谷パルコで見たピーター・ヴォーコスというアメリカの現代陶芸家の個展が非常に面白くてね。同じ焼き物でこんなに幅があるんだったらきっと自分にもできることはあるんじゃないかなと思ったんです。」

出版の世界に入って10年が経ち、キャリアを積んで独立していく人がいる中で、尾形さんは陶芸という新しい道に進む決断をした。仕事仲間からは随分反対されたというが、早苗さんのサポートもあり、出版社の職を辞して東京の生活を引き払い、愛知県の瀬戸窯業訓練校に入った。その後38歳の時、瀬戸で独立した。

当時作っていたものはどのようなものだったのだろうか。

「元々、ピーター・ヴォーコスなどの影響で焼き物を始めたこともあって、最初のうちは表現というものをどうやって器に持ち込むかということを考えながら取り組んでいました。その頃、美術寄りの陶芸展も見に行ったりしていたんですけど、これだったら陶器じゃなくてもいいんじゃないかと思うようなものもたくさんあって。自分が焼き物でやりたいことは何だろうって考えた時に出た答えが、シンプルで、プリミティブな力強さを出すことだったんです。それで、それまでやっていた加飾などによる表現を離れて、土や焼きのことなどをもっと研究して、食器に真正面からぶつかろうと思ったんです。」

登山や出版の世界にいた頃、尾形さんが惹かれていたものは、非日常の雄大な自然や人間の混沌としたエネルギーだった。自分をひきつけ、突き動かしてきたそういう荒々しい力こそ、自分が陶芸で追求するものだと思い至った尾形さんは、自分の薪窯を持ちたいと47歳の時に奈良県宇陀市に工房を移転、現在に至っている。最後に現在はどういうことを考えて製作しているのかを伺った。

「うつわが土からできているというのを強く出したいという意識があります。あまり精製されていない土で作っていると、石とかの引っ掛かりがありますよね。そういう土自身の表情に引っ掛かりがあるものにすごく惹かれるんです。焼きについても、綺麗に焼くことよりも、焼きムラのようなものに惹かれます。はみ出たり、綺麗に収まらないものに面白みを感じるというか。自然の土の力強さをストレートに伝えられて、それが器としてもきちんと成り立っているものが作れたらいいなと思いますね。」 

 

*この記事は2021年12月に行われたインタビューを編集したものです。


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