Yuka Ando

安藤由香インタビュー

安藤由香インタビュー

最初に安藤さんの作品を見た時、そのくすんだような、大人っぽい釉薬の色合いに惹かれた。彼女は空や海など自然の中の色から釉薬のインスピレーションを得ることが多いと言う。釉薬についてそのように語る人に会ったのは初めてだ。アメリカでの生活が長く、以前はロサンゼルスの会社に勤めていた安藤さん。富山県氷見市の、海から程近い住居兼アトリエを訪ね、これまでの話を伺った。

 ーアメリカに長い間いらっしゃったんですね。

 「18歳から7年間ですね。小学生の時からカナダ人の家庭教師に英語を習っていて、文法とかでなく、コミュニケーションの中で自然に覚えていく学び方が楽しくて、英語が好きになりました。アメリカには短期留学で何度か行ってたんですけど、規則の多い日本の学校と違って、すごく自由な雰囲気が気に入り、それで将来はアメリカに住みたい気持ちになりました。高校の時、両親に黙って大阪の留学センターへ相談に行って、向こうの大学に行くための方法を調べて、18歳でカルフォルニアのロサンゼルスに行きました。」

 大学ではファイナンスと国際ビジネスを学び、卒業後はロサンゼルスの企業に就職。アメリカでの生活を謳歌していた安藤さんだが、社会人になって2年が過ぎた頃、自分の気持ちの変化に気づいたそうだ。

 「その頃、長期のビザが下りて、永住権の取得も視野に入ってきたんですね。それは自分が思い描いてきた夢だったんですけど、その時にこれまでの2年間を振り返ってみたら、ふと虚しさを感じたんです。ただ働いて、買い物して、友達とどんちゃん騒ぎして…毎日楽しいんだけどその先に何があるんやろって。そんな時に夢を持って頑張っている人に会うと自分と比べてしまうんですよね。日本語教師になるために頑張っていたり、写真家を目指したりしている友達に会うと、すごいキラキラしてるように見えて。それで、自分は本当は何が好きなんやろって毎日考えるようになりました。」

 そんな頃、家族の誕生日を祝うために一時帰国した安藤さんは、友人と訪ねた丹波篠山で日本の原風景の美しさに出会う。

 「こんな美しいところが日本にあったとは、自分は何も知らなかったんだなと。」

 何かが変わりつつあった安藤さんの印象的なエピソードだ。そしてその時購入してアメリカに持ち帰った丹波焼の器が安藤さんの人生を大きく変えていった。

 「ロスに戻って、それまでは外食することが多かったのに、家でご飯を作るようになったんです。それで食器が変わったら、家のインテリアもこんなふうにしたいとなって、そのお茶碗を軸に生活がどんどん変わっていったんですよね。それでアメリカに帰ってきて一週間くらい経った時に、ふと私陶芸家になりたいって思ったんです。自分の中で散らばってたいろんなものが、陶芸というものにギュって凝縮された感じがした瞬間でした。アメリカは好きだけど、生きていく上で自分の軸が欲しい。何か本当に自分のやるべきこと、やりたいことを持ちながらアメリカで暮らしていこうと。それだったら日本で修行して、アメリカで作家として活動していくのが自分にとってベストだと思いました。」

 仕事を辞めてアメリカの生活を引き払った安藤さんは、京都の訓練校を経て、陶芸家の市野雅彦氏に3年間弟子入りする。

 「実家から通って、先生のアシスタントをしながら夜は自主製作して、作ったものをたまに週末のクラフトフェアに出したりしていました。今思えば楽しかったですね。」

 アメリカでの仕事を辞めて進んだ陶芸家の道だったが、弟子生活は言われたものを作って、梱包する毎日。人と会うことも、作品のフィードバックを得ることもほとんど無い生活を送るうちに、陶芸に対する気持ちが変わっていってしまったという。そして弟子入り3年目、東日本大震災が起こる。

 「あの時、物がいっぱい流されていく風景をテレビで見るじゃないですか。大勢の人が亡くなって…そういう時に、皆そうやったと思うんですけど、改めてこれからの人生どう生きていこうって、何が大切なのかを見極めるタイミングだったと思うんですね。それで私もそれをもう一回自分に問うた時に、本当に分からないと思ったんです。自分が作るものが世の中を良くしているとも思えないし、楽しいと思えているのか分からない。明日死んでも後悔しないように毎日生きているかといったら、そうじゃないと思って。それで、弟子入り生活が明けた時に、一度陶芸から離れてゼロになりたいと思ってデンマークに行きました。」

 誰も知らないところに行って、もう一度原点に立ち返り自分の暮らしのあり方をしっかり見つめてみたいと日本を離れた。デンマークでは持続可能な生活をする人々とエコビレッジの農園でボランティアの仕事をして暮らすうちに、心が癒されていった。

 「そこでは100人以上の人達がそれぞれの役割を果たしながら一緒に生活しているんですね。その中に皆からリペアマンと呼ばれているおじさんがいて、自転車だったり、ラジオだったり、椅子だったり、何でも直してくれるんです。景品でもらったようなマグカップでも、彼に修理してもらいながら皆大切に使っていて。そういう風景が自分には美しく思えて、なんか物ってすごいなと。それが、高いとか、流行っているとか、お洒落とか、そういう価値観じゃなくて、自分の思い入れのある物が、その人にとっていい物であるんだなっていうのを間近で見た時に、私も誰かのそういう物を作ってみたいなと思ったんですよね。そしてそれは一番はじめにアメリカで陶芸家になりたいと思った時の原点を思い出させてくれたんです。」

 デンマークでお世話になった人達に、日本で作って持っていった小皿をプレセントした時の人々の反応も印象深かった。自分の作ったものをこんなに喜んでくれるということに、新鮮な感動を受けた。こうした体験を通して、物の持つ力を再認識した安藤さん。物は心を動かし、心と結びついた物はただの物ではなくなる。彼女自身も丹波篠山で出会った茶碗によって人生が変わった一人だった。

 約半年間のデンマーク滞在の後半、フォルケホイスコーレという豊かさとは何かを学ぶデンマークならではの寄宿制のアートスクールに入った。陶芸のクラスもあったが、敢えてガラスのクラスを選んだ。力仕事であり、時にチームワークも必要とされるガラス製作は自分の性格には合わないと思ったそうだ。その結果、自分にはやはり陶芸しかないと思えたという。それで最後に陶芸のクラスでマグを作ってみることにした。調合された釉薬バケツが用意されていたので、それをそのまま使って焼いてみたところ、これまで出たことのないくすんだ水色に仕上がった。その水色がなぜか安藤さんの心を惹いたのだという。

 「それまでは水色が好きって一回も思ったことがなかったのに、なんでいいと思うのかなって考えた時に、デンマークって空がとっても綺麗で、夕日も綺麗で、建物が低いから空がほんと広いんです。それまで水色ってポップなイメージがあったんですけど、自然と調和した、馴染んだ水色とかピンクがあるんだって、やっとその時に気づいたんですね。海に行ったら、夕日に照らされた海が青じゃなくて、銀色とかピンクに見えたりして、世界にはいろんな色があるんだな、綺麗な色っていいなって純粋に感動して。その時に自分はこういう色が好きなんやっていうのを気づいたことが私の原点ですね。」

 現在お住まいの氷見市のアトリエは海からも程近く、少し歩けば天気の良い日は海の向こうに白く立山連峰が見える。海や空の色から釉薬の色のイメージを得ることが多いと言う安藤さん。「一番好きな色は何ですか。」との問いに、少し考えてから「東の空の夕暮れ時の色」と答えてくれた。

 

*この記事は2020年6月12日に行われたインタビューを編集したものです。