Yoshihiro Nishiyama
西山芳浩インタビュー
溶けたガラスが持つ艶かしさと光をそのまま閉じ込めたかのような作品で知られる西山芳浩さん。日本だけでなく、海外にも多くのファンを持つガラス作家は何を考えてきたのか、彼が拠点とする金沢で話を聞いた。
金沢の卯辰山工芸工房という所に24歳から27歳までいたんですけど、そこに入ったきっかけは自分が何を作ったらいいのかよく分からなかったからなんです。そこでああだこうだ色々とやってみたんですけど、自分は何かを言いたいとか、表現したい人間では全くないんだということを思い知らされました。そこで自分が魅かれたのが、古い時代のガラスだったんです。それまでそういうガラスがあることは全然知りませんでした。江戸あたりのものや、産業革命直後に作られたガラスは、まだ手で作られた部分が多くてブレがある。それがすごく面白いなと思って。そういう古い時代のガラスの、陶芸でいう写しみたいなものができればいいなと考えました。そういうところで詰めていくやり方が自分には向いている感じがしたんです。
ー古い時代のガラスのどういうところに魅力を感じたのですか。
ガラスという素材の艶かしさが感じられるところかな。でもそういう感じも、出そうとしたわけじゃないのに出ているものなんです。そういう意図せずにそうなった感じが魅力に思います。昔の職人さんも、本当はもっとシャキッとしたものを作りたかったんでしょうけど、パッパッと速く沢山作る必要があって、それで曲がってしまったりしたと思います。(写真を見せながら)例えば江戸時代のガラスのこの口の部分も現代のガラスのような口を目指したはずですが、結果的にこういうふうに少し曲がった感じになった。この時代はそうするしかなかったんですね。ガラスの柔らかい感じも、出そうとしたわけじゃないのに出ているというか。そういう意図せずになっちゃった感がいいなと。僕がやっていることが、それと本当に近いかといったらそうでもないかもしれないけれど、そういうことをやりたいと思って続けてきました。
ー西山さんにとってガラスとはどういうものですか。また、何を目指して製作されていますか。
自分にとってガラスはやっぱり液体なんです。柔らかい液体から固体になるものです。その液体の部分を見せるということを考えてやっています。吹きガラスって形でしかモノが言えないようなところがあるんですけど、例えば角ぐい呑はアウトラインとインラインのバランスがキモなんですね。内側の溶けたガラスのドゥルンとした感じは面白いけれど、それだけだと物足りない。それは外部の型があることによって生きてきます。その外も実は少し崩しているんですけど、そういうのがバランスとして面白いかなと思っています。それはデザインとかではなくて、作りながら見つけたポイントです。それは江戸から、明治、大正、昭和初期までのガラスにヒントを得ています。自分に向き合っているわけではないけど、自分に引っかかる何かを見つけて、それを次のものに見ていくということの繰り返しです。それは昔の職人や労働者がやっていたことと、あまり変わりがないと思うんです。
僕のガラスは技法的には「型吹き」と言われるものです。型を使うっていうと、ただそこに溶けたガラスを流し込むようなイメージかもしれないけど、ある程度口で吹いてから型に入れるんですね。そのバランスと温度の加減で、同じ型に吹き込んだとしても、結果的に全然違うものになる。ガラスが冷め過ぎててもダメだし、逆にトロトロ過ぎてもだめです。その辺って本当にちょっとしたことなんです。でもそのちょっとしたことによって、できてくるものが全然違ってくる。それを繰り返しの中で見ていくという執着心が自分は強いと思います。同じものを50個作る場合でも、一回一回、形の中に何かを見つけてやろう思いながらやっている。それは自分の創造性を具現化することとは違います。本当にちょっとした温度の加減とか、厚みの操作の仕方だけで全然違うものになる。そこを見つけてやろう、見てやろうという気概でガラスと向き合っています。
以前、金沢郊外の山中にある工房に彼を訪ねたことがある。真冬だというのに暖房はついていなかったが、ガラスを溶かす大きな炉のおかげで工房の内部は暖かかった。冬は快適だが夏は室内温度が40度を超える過酷な状況での作業になるそうだ。高温のガラスと向き合い続けることの中から生み出されたガラスは、古い時代のガラスのように大らかさと艶かしさを併せ持つ。今回インタビューにあたり、普段言葉から離れて仕事をする中で感じたことを懸命に伝えようとする彼の姿に、穏やかな人柄に秘められた熱を感じた。