服部竜也インタビュー

 

最初に会った夏、日焼けした服部さんはスポーツマンのようで、細部まで精緻な仕事が要求される茶器などの作品とのギャップが印象的だった。服部さんは、陶芸の町、多治見生まれ。道を歩けば陶芸家にぶつかるような町で、服部さんが学んだ意匠研究所も実家の近所だったが、陶芸には全く興味がなかったという。ただ生まれつき手先が器用で、物づくりが好きな子供だった。プラモデル作りに熱中し、一日中作り続けても集中力が切れることがなかった。将来は漠然と物作りがしたいと美大に入ることも考えたが、大学では経営学を学んだ。そのまま就職する気にはなれず、大学を出て1年間は、趣味のサーフィンやスノボ三昧の日々を送りながら、これから自分が何をしていくか考えた。その年、なんとなく入った陶芸教室で、焼き物といえば量産品というイメージだったのが、それだけじゃないということを知り、作る面白さを感じた。それから本気で陶芸を勉強してみたいと希望したのが、たまたま実家の近所にあった多治見市陶磁器意匠研究所、通称イショケンだ。ここには陶芸家を目指す若者が全国から集まってきていた。大半は大学の陶芸サークル出身者や家が窯元という人たちで、全く基礎のない服部さんは異色だったという。

 

「自分は陶芸のことを何も知らずに入ったんですが、大変だったという感じはなくて、すごく楽しかったです。実家から近かったので、毎朝一番乗りで登校して、一日中ろくろの前に座っていました。夏休みも毎日通ってました。通常ろくろは上級生が優先的に使えるんですけど、僕は自分専用にろくろを確保して、一日中作ってましたね。仲間たちと切磋琢磨しながら情報交換したり、先輩からアドバイスをもらったりして、先生方からもいろいろ教わりましたけど、周りから得るものが大きかったです。」

 

マイペースだが一度これだと思えるものに出会うと、のめり込む服部さんは、ここでいろいろなものを貪欲に吸収していった。その頃、服部さんにとって一つ大きな出来事があった。当時日本で開催されたイギリスの陶芸家ルーシーリー展の作品に衝撃を受けたという。

 

「ああ、これも陶芸なんだ、器の形をしてるのにアートのようで。色も鮮やかで、自分が焼き物に対して持っていたイメージを180度変えてくれたというか。器って自由に表現していいんだ、面白いなと感じました。」

 

意匠研究所を卒業した後は、一旦、陶磁器メーカーのデザイン部門に就職し、会社勤めをしながら、自分の作品作りに必要な道具を揃えていった。仕事が終わると、睡眠時間を削って自分の作品を作り、ギャラリーに売り込んだ。やがて作品を取り扱ってくれる店やギャラリーが増えてきたところで、会社を辞め、作家として生きていく決意をした。その頃作っていた作品を見せてもらった。チタン系の釉薬で焼き上げた肌はどこか柔らかさを感じるマットな質感で、細かな象嵌を施した丁寧な仕事ぶりや、高台からのびやかに広がっていくフォルムには、ルーシーリーの影響が色濃く感じられたが、素晴らしいものだった。アーティスティックなその頃の作品は評価が高かった反面、料理を盛るにはあまり向いていないとの意見もあったそうだ。それまでルーシーリーのような作品を作ることを目指してきたが、人に使ってもらってコメントをもらうことに、より面白さを感じるようになっていた。伊藤環さんや村上躍さんの作品に出会い、実用的な器でありながら自分の世界がある、こういうかっこいい器があるんだなと刺激を受け、自分独自のものを作ってみようと考え始めたのはその頃だ。自分らしい器ってどういうものなんだろうと自問し、服部さんが作り始めたのは急須だった。コツコツと手を動かして作り続けていくうちに、だんだんと自分の表現というものができるようになってきた。

 

「僕はデッサンはあまりしないんです。するとしてもざっくりとしたものです。デッサンをすると、どうしてもそっちに近づけようとする意識が強くなってしまう。もちろん漠然とこういう形というのは頭にあります。それも結局いろいろなところから刺激を受けてるんですけど、吐き出すのは自分だし、同じものはできないと思うので。出来上がったものを見て、これはいいなとか、これはもうちょっとこうしたいなとかを繰り返して今がある感じです。」

 

急須は取手や茶漉し部分などをパーツごとに作り最後に組み立てるため細かな調整が必要とされる。手間のかかる作業は人によって向き不向きがあるだろうが、服部さんの場合、そういう作業が一番楽しく、できた時に幸福感を感じるという。それは子供の頃に熱中したプラモデル作りにも繋がるのだろう。現在は作家として日々製作に邁進する生活の服部さんだが、自分の名前が広く知られることよりも、自分自身が楽しみながら仕事をして、それを誰かが喜んで使ってくれることに充実感を感じている。弟子やスタッフを雇うことは考えず、自身の身体性と直感、縁を大切にこれからも作り続ける。

「まあ、できればもう少しサーフィンができる時間があればいいなとは思いますけどね。」

そう言って笑った。


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