吉川和人インタビュー
ー子供の頃の思い出で特に印象に残っていることはありますか。
家の裏がすぐ山だったんですけど、男の子が森でやるようなことをしていましたね。木を削って弓とかを作って遊んだり、ツリーハウスを作ったり、ターザンみたいに紐をぶら下げて遊んだり…でもそういう楽しいことだけじゃない森っていうのもあって。森や池に入ると動物や魚の死骸があったりするんですけど、それに虫がたかっていたり、樹液には蛾が群がっていたり。いろんな植物とか生物がそこら中で生きていて、そこら中で死んでいるんですよね…そういう生きて死んでを繰り返すさまを見てゾワゾワと感じるものがあって。あと、嵐の夜は大木が揺れてゴーゴーと音もすごくて怖かったですし、自分の部屋が森に面していたんですが、キジやフクロウの啼き声が聞こえたり、夜の森はそういう有象無象というか魑魅魍魎としたものが蠢いている場所になるんです。昼はそんなことは深くは感じないですが。あと季節ごとに色も、匂いも、音も変わって。
ー森は生と死を学ぶ場でもあったんですね。
そうですね。木は森の営みの中心なわけで、他の動物や昆虫に食べ物をい与えたり、葉を落としてそれが養分になったり。そういう意味でちょっと怖れを抱く存在というか。昼間は登って遊んだりしていても、実際はすごい存在なんだろうと思っていました。そういうことで言うと、他のプロダクトデザイナーと比べて思うところは、やっぱり彼らは木を質量として見ていると思うんです。こういう立体を作るための構造物として質量としてあるということなんですけど、僕にとってはそれは一個ずつ生々しいものがあったので、単なる素材とは違うと思っていて。言ってみれば、これって尸(しかばね)ですからね。彼らが生きた後の遺体を扱っているわけなんです。そういう意味で一回きりの存在ですよね。それは燃やせば灰になって風に飛ばされて、次の世代の養分にもなるわけで、それも潔いと思うし…なのでデザインとかプロダクトとかは以前から好きでしたけど、木に関しては別の捉え方をしていたかもしれません。木工をやる人は朽ちたり、木目が不規則だったり、節が入ったりした木は、ちょっと構造的に弱くなったり、バランスが崩れたするんで排除する人もいますけど、僕はそれを逆に受け入れるというか、むしろそれが木だという感じで使うという考え方なんですけど、それは恐らく小さい時の経験から来ているんじゃないかなと思いますね。
ー子供の頃、森は遊び場でもあり、生と死を学ぶ場でもあったということですが、そういう森の二面性は現在作品を作るときに反映されているということはありますか。
そうですね。プレーンな木は日常使いできる物に、象徴的なパワーがあるようなゴツいものはアートピース的なアプローチの作品にしたりとか、それは両方とも必要だと思っていますけど、確かに森の昼と夜という感じかもしれないですね。
ー木工を始めたのはいつからですか。
小学校3年生の時に母の日のプレゼントに木のスプーンを作ったんですけど、最初は趣味でやっていて、仕事として始めようと思ったのは35歳くらいですかね。スプーンから始めたんですけど、もともと立体とか彫刻も好きで、スプーンは一番身近な彫刻なので。プラス機能も必要とされると言う意味で、その機能と造形の融合ということで奥が深いと思っています。
ー吉川さんの作品はカーブが特徴的だと思うんですが、そういうものが好きなのは、自然とか森での経験や観察と繋がっているんでしょうか。
そうですね。例えばバターナイフなんかは、植物の種でプロペラ状のものがあるんですが、その形状がヒントになっています。それから卵とか河原の丸石とかの形も好きですね。質量っていうか重さとか硬さは不均一なものの塊なんだけど、それがなんかの理由で削ぎ落とされていって、一番最後に均衡した形になる。水の滴とかも重力と表面張力で一番バランスがとれた形になるんですね。木工の学校に入った時に、先生が色々教えてくれたことの中に、彼はもともと彫刻家なんですが、「世の中の物は必ず重力の影響を受けて引っ張られていて、形も重力の影響から逃れられない。」っていうのがあって。それを聞いた時に面白いなと。そういう重力とか膨張力とかの影響を受けて均衡したラインが一番綺麗なラインじゃないかと思ったんですね。
デザインについてもう少し言うと、一番ヒントにしているのは人間の身体です。人間の身体も重力によって引っ張られながら動くための色んな構造があって、その上に肉がついているんですね。これ自体も外の均衡によって成り立っているんで、人の体とか動きとかすごい見てますね。腰のラインとか首から肩のラインとか、あとは鳥とか動物の首のラインとか。
ー話が少し前後しますが、大学を出て一度就職されたわけですけど、最初から作家になろうとは思っていなかったんですか。そしてその後、会社を辞めて作家になろうと思ったのは、何かきっかけがあったんですか。
元々物を作るのが好きで、大学の時も美術部だったんですが、それを仕事にはできないんじゃないかなと思ったんです。無理だと思って諦めていたんですね。それでもデザインが好きだったのでカッシーナに就職しました。プロダクトデザインの周辺で生きていければと思っていたんですね。でも2011年に震災があって、人生について改めて色々と考えました。その時35歳で、もう人生を決める時ですよね。それで一度きりの人生なら、思い切って好きなことに挑戦してみようって思ったのがきっかけです。それから岐阜県の木工の学校に入りました。
ー現在の取り組みについて教えてください。東京のアトリエに加え、ここ三重にも新しく拠点を作ったわけですが。
ここはトヨタが所有している広大な森があって、その森林を保全しながら有効に活用するプロジェクトに応募して通ったんですけど、森の木を使った製品を開発販売し、そのお金でまた地域の木を買って循環させていくことと、もう一つは地域の
学校での木を使った教育です。始まって一年半くらいですけど、教育では地元の高校での木工の授業が進んでいて、商品開発は今年の5月にここを借りてから少しずつ動き始めています。ここは元々工場の跡地だったんですけど、森の木を使った製品を作る製造ラインを立ち上げて、軌道に乗ったら現地の人たちも雇用する計画です。あとそうした生産機能に加え、地域活性で人が集まる場所にしたいと思っていて、手を動かして木で物を作る面白さを一般の人とシェアできる施設にして行きたいと考えています。
ーそれは楽しみですね。吉川さんは、ワークショップを色々なところで継続的にやっていますけど、どういう思いで続けているんですか。
サラリーマンを辞めて、木工作家になろうと思った時に、何から始めればいいのか分からなくて。使う道具も分からないし。そういうことがあったので、ナイフで木を削って物を作るということの敷居を下げて、気軽に物づくりを楽しめる場を作りたいということがあります、あと、ちょっと突っ込んだことを言うと、木を使って何かを作ることって、何かしんどいことがあった人が立ち直るようなきっかけになる力があると思っていて。自己肯定感も生まれるし。実際、深刻にそういうものを求めている人っているんですよね。それはある時期の自分にとってもそうでした。そういう人たちにリーチするのがもう一つのミッションです。僕はワークショップの参加者にはある程度の完成度まで行かないとOKを出さないんですが、いいものができるとやっぱり喜んでくれるんですよね。2時間半の間、自分が作業したことしか反映されないんで。なんかそういうところで自分の存在価値にふと気づいたりしてくれるといいなと思うんですね。単純に自分自身が楽しむため。自分で自分自身を新たに見つけるため。それは結局何のために生きているかっていうことなんですけど。子供や若い人に伝えたいのはとにかく「この世は生きる価値があるんじゃないかな。」ということを感じてもらうっていうことです。生きているといろいろいいことあるよと。その一つとして自然の素材を使って自分や誰かの為に何かを作るって自己肯定感もあるし、楽しいよっていうことを伝えていきたいんです。
ー吉川さんは、作家活動の他、学校やワークショップで教え、ここでは森を有効に活用するための事業を立ち上げようとしていたりと、幅広く活動されていますが、これらは吉川さんの中ではどのように繋がっているのでしょうか。
やっていることは結局皆一緒かもしれないですね。木を削って何かを作ることは楽しいので、僕は仕事としてやっていて、そしてその楽しみを他の人とシェアしたいと。全てそういう考えでやっているというか。なので自分の肩書きは一応海外ではアーティスト、日本では木作家(もくさっか)と名乗っていますけど、あえて固定しなくてもいいかなと思っています、なので今、僕の名刺には「吉川和人」としか書いてないんです。
*この記事は2019年9月に行われたインタビューを編集したものです。