小野哲平と二階堂明弘の対話

小野哲平と二階堂明弘。世代も考え方も異なる二人の作家による今回の展示は、コロナ禍の孤独な環境の中で二階堂さんが感じた精神的な危機が発端だった。二人は数年前にパリで出会い、それから数回顔を合わせただけだったが、その出会いは二階堂さんに強い印象を残していた。心が限界に達した時、高知に哲平さんを訪ね二人展を依頼、哲平さんが受け入れたことで今回の二人展が実現した。この夏、二階堂さんと一緒に哲平さんの工房に赴き、三日間にわたり対話の時間を持った。それは二人の芸術家がものを作る理由について、生きることと芸術の関わりについて、お互いが信じるものをぶつけ合う対話だった。

「十代の頃、人間関係や見える社会がとても無機質に感じられた。だから反対のものとして土とか火といったものに惹かれたんだと思う。その頃から土の仕事がしたいと思っていたし、それは今でも変わらない。土を触り続けていたい。頭で考えるのでなくて、肉体が変わり続けていたい。僕は、土を触ることで救われ続けている感覚がある。」 小野哲平

「なんで物を作っているかと言ったら、やっぱり僕の心に穴みたいなものがあるからだと思います。それを埋めるために、ひたすら作り続けているところがあります。僕は元々人付き合いが得意でないけれど、物を作ることで人と関わることができる。だから器を作ることは、自己の表現であり、同時に人と関わるために欠かせないものなんです。」 二階堂明弘

芸術の表現として、なぜ生活のうつわなのかとの問いに

「若い頃は、生活のうつわという感覚とはかなり離れていて、暴力的な衝動や感情をそのまま乗せたものを作っていたけれど、それで何かが変わったり伝わったりするのかと思うようになった。そうではなくて、相手を包み込むような、自分の中の暴力性を昇華したようなものを表現すべきではないかと思ったことが、自分の中でターニングポイントだったと思う。暴力性を排除したことが、自分を日常に近づけたのかもしれない。」 小野哲平

 

「お茶会をする理由は、器を通して仲間たちがその場に集まって、その時だけのために全員が全てを尽くして一体となれるから。そこでは何かが昇華されて、消えていく。それは僕にとっても、仲間たちにとっても重要なことなんです。」 二階堂明弘

「芸術とはハラワタの仕事だと思う。心の深いところに入り込んで、それを直視して、自分の中の恐ろしいものを確認する。僕はそういう仕事だと思う。」 小野哲平

「心の中にある違和感を少しでも解き明かしたい。そういうことを自分はうつわの仕事でできると思っている。自分は芸術に救われたという感覚があるし、自分も他者を救うことができるはずだと信じている。」 小野哲平

「陶芸を始めて知ったのは土は綺麗ではないという事。陶芸が洗練された工芸に至るまでは、陶芸家と言われるような作家ではなく、様々な人達の苦労と生活があった事。そういった、時間の中に埋もれてしまった事や人があって、僕は陶芸家として今を生きているのだと思う。」 二階堂明弘

共に土の仕事を選び、芸術としてうつわを作る二人。哲平さんは心の深いところで自身の暴力性と向き合い、それを昇華した作品作りによって、失われたものを取り戻そうとしており、二階堂さんは広大な時空の中における自分という存在を想い、作る事で、過去、現在、未来における他者と繋がる感覚を得ている。

 芸術とは何だろう。それは心の深みから生まれ、他の誰かの心の奥に伝わるものだと思う。そして、その力の源泉は、生命そのものにあるはずだ。二人の芸術家の奥底から生まれた作品を、心で感じてもらいたいと願っている。


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